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移転前の「スナッカラの地蔵」の位置を知る
重要な指標となる「花田第二樋門」
(花田3丁目・4丁目)
(1985年)(2008・11・13)
花田3丁目と4丁目の境界になる「新方川」の土手に「花田第二樋門」が新設されたのは、
区画整理中の1985年3月である。
その後まもなく区画整理の為に、「スナッカラの地蔵」を含む4基の石仏が、現在地に移
転された。つまり、「スナッカラの地蔵」と「花田第二樋門」が50Mも離れずに共存し
ていた時間は、ほんの僅かであったのだ。
それ故、移転前の「スナッカラの地蔵」を含む4基の石仏と、現存も同じ場所に存在する
「花田第二樋門」が共に写っている映像は、移転前の「スナッカラの地蔵」を含む4基の
石仏の正確な位置を知る上での大変貴重な資料である。
▲区画整理中の「元荒川・旧河道(「裏古川」跡)」の自然堤防上に存在した
  青面金剛像庚申塔 安永三年(1774)(向かって右)
 「スナッカラの地蔵」石仏 承応四年(1655)(中央右)
  青面金剛像庚申塔 正徳五年(1715)(中央左)
 「馬頭観音」文字塔 文化三年(1806)(向かって左)
  及び新設された「花田第二樋門」(向かって右奥)
(西より望む)(1985年)
▲「花田第二樋門」(向かって右)
(西北西より望む)(2008・11・13)
※ 「スナッカラの地蔵・石塔・石仏」(1980年代前半)へ
※ 「スナッカラの地蔵・石塔・石仏」(1985年-区画整理中)へ
※ 「スナッカラの地蔵・石塔・石仏」(2006年)へ
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