「旧・埼玉郡大野島村(現・さいたま市岩槻区大野島)」は、「元荒川」と「古隅田川」に囲まれた中州の島に由来した地名であった可能性は極めて高いと思われる。
『新編武蔵風土記稿』巻之二百二 埼玉郡之四 大口村に依れば、
「又村の西に堤あり、金山提と唱ふ、是奥州街道の蹟なりと云、」との記述がある。
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 1974年(昭和49年)」を見ると、「旧・大野島村」の東に存在した「旧・大口村」の「金山提」と「元荒川」に囲まれた「旧・大野島村」が、中州の島であった様子がよく判る。
その地形は、現在の空中写真を見ても判別する事が可能である。 |
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| ↑出典:「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 1974年(昭和49年)」より引用 |
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| ↑出典:「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 1974年(昭和49年)」より引用・加筆 |
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| ↑「添付写真8枚の撮影年月日」:平成20年(2008)12月13日 |
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「旧・埼玉郡大野島村(現・さいたま市岩槻区大野島)」の南東には、「旧・埼玉郡野島村(現・越谷市野島)」があった。
『新編武蔵風土記稿』巻之二百三 埼玉郡之五 野島村に依れば、「野島村は古岩槻領と唱ふ」との記述がある。
「旧・大野島村」が川の中州の島に由来した地名であったのなら、「旧・野島村」もそうであったのだろうか。
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 1974年(昭和49年)」を見ると、「永代橋」の東南東付近より「三野宮橋」付近にかけて、かつての「元荒川」の河道跡と自然堤防の様子が見て取れる。
特に「浄山寺」の南西付近より東南東付近にかけては歴然としている。
「旧・野島村」の「浄山寺」と「旧・末田村」の「金剛寺」が、「元荒川」の中州の島であった事は間違いない様である。
古来より、熊野本宮大社旧社地「大斎原」、「木枯の森」、「清暑島」など川の中州の島が聖地とされた事例には枚挙に暇がない。
「浄山寺」も「金剛寺」も川の中州の島であり、且つ聖地であったのだろう。 |
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| ↑出典:「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 1974年(昭和49年)」より引用 |
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| ↑出典:「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 1974年(昭和49年)」より引用・加筆 |
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